尾高山 登山(2020年1月元旦)
恒例としている、尾高山元旦登山、体調も良く例年同様出かけることが出来た、天候も良く暖かだ!、雪の無い山頂へ、昨年危険表示のあった展望台は解体されていた、何時も眺める釈迦ヶ岳は樹木越しに見ると、樹氷がついているようだ、下山時に見晴しコースの展望所で眺めた後、長坂コースで下山した。
尾高観音駐車場にある、尾高観音・尾高山の説明板

幟旗が立ち、元旦は明るいです!

行者コースを登ります、年々山が高く、傾斜がきつくなっていくよう!やはり年かな?

注意して、登ります!!



登山道分岐!

展望台が解体されていました!残念!

今年も登れたことに感謝!

見晴しコースの展望所で ゆっくり景色を楽しみます!

釈迦ヶ岳樹氷が素晴らしいです!分岐に戻り長坂コースで下山します

藤堂高潔公顕彰碑をゆっくり読む!(2019-10-22)

山ノ一色町の遠保神社の横に藤堂高潔公顕彰碑がある、この碑は、近くの荒井田山山頂にひっそりと設置されていたもので見たことのない人も多そう、荒井田山は北勢バイパスの建設が進み平地と化し、道路完成待ちの状況で面影も無くなった、すでに高井田山の記憶も薄れた。


移設された顕彰碑は風化にともない一部読めないと紹介、説明板の設置にいたる詳細を読むと、こんなに身近なところで、藤堂藩 藤堂高潔の功績があったというが良く解った。

藤堂と言えば藤堂高虎がうかぶ、高虎は津藩の初代藩主、戦国時代のめざましい活躍、築城の名人、「七回主を変えた」ことでの悪評などでも知られる。
今回 藤堂高潔については、藤堂高潔の顕彰碑と、その説明板により改めて知ることとなった、我々が住む街で起きてきた、先人たちの感謝の顕彰碑に現れている、
藤堂高潔とは?多大の功績があったようだ、調べてみると 主変えの悪評も残るが、子孫たちは、家康への忠義を重んじ、そして茨の道を歩んだようだ、高潔も幕府側を裏切り、新政府軍につきながら日光東照宮への攻撃だけは拒んでいた家康への恩を忘れなかったのだろう。
藤堂藩が御法度十七ヶ条の中で土地の永代売りを禁じ、山林が三十年、畑が二十年、田が十年の年季売りとした、事情があり土地を手放しても、期限が来れば売渡し金額で買い戻すことができた。
この制度によって、貧しい村民がたちは、先祖伝来の田畑を永久に失う汚名を負わなくてよかったという、旧領主への感謝の念により、石碑を建立したと言われるが??
田も畑も山もだが、現在の土地に対する考えはどうなっているのだろう??
東坂部町獅子舞(2019-10-13)
昨日は台風19号通過の悪天候、朝起きテレビをつけると関東方面では台風の影響での川の氾濫ニュースばかり気がめいる、当地も台風影響が残ると思っていたが青空が広がっていた、少し団地周辺を散歩にでる!
獅子舞の音色、人だかりができている、青空の下、獅子舞が行われていた、久しぶりの観賞、獅子舞保存会の人達は皆若く頼もしい、今後も継承されていくことを期待する。
今日は瀬古舞、宮舞、宿舞と行われるようだ、楽しい気持ちで刑部神社周辺を散策して歩いた。



阿寺の七滝と不つ田の七滝(2019-9-12)
今日も猛暑が心配されています、以前歩いた時も真夏だったような気がします。

三河大野駅(駅前 バス停駐車場あり、12年前の写真には28人が準備体操中、皆若かったです!本日は誰も体操しない余裕か?)
12年前歩いた時は全歩行距離が長かったとの思いでが残る、今回は一部バスを使うとのことで、気楽に参加。

しかし、不つ田の七滝を過ぎ山道に入ると思ったよりハード、峠へのアップダウンと滝への下り登山道は滑りやすく要注意、緊張する、やはり年か?

鉛峠(真ん中の登山道を下ります)
今回は武田信玄が鉛を取ったことから名前が付いたという鉛山峠を通り阿寺の七滝へ向かった、阿寺の七滝の看板広場に出ると、バス停から来る観光道と合流するので一安心。


愛知県新城市睦平 不ツ田の七滝(落差25m)は、山を隔てて百選の阿寺の七滝の反対側にある滝。
渋川鳳来線505号沿いにあり看板から細い道を進むと駐車場があり、「料金1日1台につき100円」があり、林道を歩くとすぐに滝が見えます。新しい赤い鳥居のある、福多の不動様(福多大瀧不動)がある。
阿寺の七滝は三河大野駅からバスで25分(七滝口バス停下車徒歩15分)但し時刻表を良く調べる必要がある。
今回知った、阿寺の七滝と不つ田の七滝 のみで山歩きを避けて、滝巡りだけなら若干足が弱っても、元気なら夏の避暑散策に最適、マイカー、バス利用で2ヶ所の七滝巡りがは楽しめそう。



















