藤堂高潔公顕彰碑をゆっくり読む!(2019-10-22)




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日の目を見た、藤堂高潔公顕彰碑!


山ノ一色町の遠保神社の横に藤堂高潔公顕彰碑がある、この碑は、近くの荒井田山山頂にひっそりと設置されていたもので見たことのない人も多そう、荒井田山は北勢バイパスの建設が進み平地と化し、道路完成待ちの状況で面影も無くなった、すでに高井田山の記憶も薄れた。

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高井田山が完全になくなった、道路建設地、名四ゴルフ場下ではトンネル掘削中!

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2009年当時の荒井田山

 

移設された顕彰碑は風化にともない一部読めないと紹介、説明板の設置にいたる詳細を読むと、こんなに身近なところで、藤堂藩 藤堂高潔の功績があったというが良く解った。

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藤堂高潔公顕彰碑の説明板!

 

藤堂と言えば藤堂高虎がうかぶ、高虎は津藩の初代藩主、戦国時代のめざましい活躍、築城の名人、「七回主を変えた」ことでの悪評などでも知られる。

今回 藤堂高潔については、藤堂高潔の顕彰碑と、その説明板により改めて知ることとなった、我々が住む街で起きてきた、先人たちの感謝の顕彰碑に現れている、

藤堂高潔とは?多大の功績があったようだ、調べてみると 主変えの悪評も残るが、子孫たちは、家康への忠義を重んじ、そして茨の道を歩んだようだ、高潔も幕府側を裏切り、新政府軍につきながら日光東照宮への攻撃だけは拒んでいた家康への恩を忘れなかったのだろう。

藤堂藩が御法度十七ヶ条の中で土地の永代売りを禁じ、山林が三十年、畑が二十年、田が十年の年季売りとした、事情があり土地を手放しても、期限が来れば売渡し金額で買い戻すことができた。

この制度によって、貧しい村民がたちは、先祖伝来の田畑を永久に失う汚名を負わなくてよかったという、旧領主への感謝の念により、石碑を建立したと言われるが??

田も畑も山もだが、現在の土地に対する考えはどうなっているのだろう??